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前園長たみこさんのへや
「待つ‥‥待てる」
療養中の私は(まただ‥!!)保育者になったばかりの頃のことをよく思い出している。 それは‥ギャッと叫んで、飛び上がりたいほどの恥かしさやくやしさが多いのを白状しておく。 昔、昔‥資格をとり保育士になって大張り切りの私は、いわゆる大人の云うことをきくこと、 友だちとケンカをしないこと。をいい子とするのはちがうと考えていた。自分の気持ちを主張することも 大切にしようと、子どもに伝えたいと思っていた。そのせいで、他の保育者や保護者とぶつかることもあったが‥ 自分の考えを持ちしっかりそれを伝え行くことも大切に生きていってほしいものだとの想いも強く持っていた。 勿論人の意見もよくきき、対立するのでなく話し合いわかり合うことも大切に。 昔、年中さんを担任していた時のこと。 おとなしいA君がいた。いつもなんとなくおどおどして、楽しそうにさわいだり、笑ったり、ケンカすることもなく すごしているのが気になっていた私。 ある朝、みんなで、今日はなにして遊ぶのか相談をしていた時のこと。 「散歩」「江戸川の土手でかけっこ!」「ボール」「いや!おへやでブロック!!」
8月26日
個室は1人
療養中の私(こればっかりだ。全くトホホ‥‥)が思い出すのは、 いつだって50年以上子どもといっしょにいた。その時の事‥‥。 幼かった頃、女の子達何人かで、トイレの個室に入って便器を囲んでなんとなく秘密っぽく おしゃべりしていた。 大人達からちょっとかくれてワクワクもしたり‥‥。 そして、その後のことも思い出だす。 4~5人でゾロゾロとトイレの個室から出ると、先生がみつけて 「アレ?!みんなで‥‥トイレで何してたの?!」といぶし気な目で、ジロジロ見る その目が、なんか‥ イヤで、冷たくて。 その時からずい分立って、私は保育者になっていた。 ある時、職員が、アラ大変!!という顔で話合っていた。 「女の子たち何人かで、トイレに入っていたのよ。どう思う?」 「トイレには1人ではいるでしょ? と言うしかないか」 と、ひたすら戸惑った様子の職員。その戸惑いや困った目つきに見覚えがあった。 そして私には、なんとも言えない話したりない、じれったさとモヤモヤが、あった。 トイレは1人で入るもの。それは当然なことだ。そう、子どもに話すのは間違ってはいない!
8月4日
根に持つタイプ
療養中の私は時々、とんでもない昔のことを思い出すことがあります。 あれは今から70年(!)位も前のこと・・・ 私は幼いころやせっぽちで顔色の悪いいわゆる虚弱体質と云われる子どものようでした。 その日もなんだか調子が悪くふとんから出れないでいました。 姉も弟も学校に行き、父母も仕事、私は1人ふとんの中でした。 ぼんやり ウトウトしている私のそばで、なにやら父と母の声がしたようなしないような・・・。以下その会話です。 父「アレ?」 母「なによ?」 父「あ、なんでもないよー」 母「なによ?!」 父「たみこ・・死んでるかと思った」 母「・・・・・なに云ってるのよ・・・・」 たった何秒かのこの会話。私は聞いているのを知られないように言葉を発せずねたふりをしていました。 それだけの話しです。 それだけ・・・・・。 でもその何秒かの会話を今でも時々思い出すのです。 その会話から私はなにを感じて忘れられないのだろうか、と、ずっと考えています。そう、なんだか 冷たいものを感じてしまったのです。具合の悪い子が寝ているんだから、「ただいま」とそばに寄って...
7月22日
ありがとう
ようやく新園舎ですね、仮園舎でもいっしょにいてくれた子ども達、そしてお家の人ありがとう、本当に、ありがとう! 私は、前園長の「たみこさん」です。学校出てから保育の道を歩き続けて、だから… エーッと?55年をこえて保育者です。旧園舎の時は本当にハラハラドキドキすることがなんと多かったことか。夜に地震があると「アッ!子ども達はお家で安全よね」とホッとし、大雨が降ると次の日はあちこちのへやで雨もりが…。台風がくると弱った樹を道路側に倒れないように、用務の人がずぶぬれになりながら庭の方にひっぱり、と、安心することがなかった気がします。在園児のお父さんが(建築にくわしい方)心配して、園を見てまわってくれて「建てかえられるといいね。たみこさんもし大きな地震があったらホールに集まるのがいいね!」と教えてくれて。 …わかってる、わかってるけど、建てかえって一体全体どうやればいいの?!補助金?設計?区との打ち合わせ?金策?借金?なんじゃそれは?要するになにもかもが、ちんぷんかんぷんなのです。わからない話しをさもさもわかったような顔をしてうなづいているだけの私を想
6月19日
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